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SINCE 1961
1960年に登場した初代スーパーカブの広告。
専門誌にしか広告を出さないという
当時の二輪車業界の常識を打ち破り、
日本ではじめて一般誌に掲載された二輪車広告となりました。
「スーパーカブはそば屋の出前に向いている」という
Hondaの創業者・本田宗一郎氏の言葉をきっかけに、
Hondaの専務だった藤澤武夫氏の意を汲んで、
高島屋の宣伝部に所属していた尾形次雄がデザイン。
広告が掲載されると、たちまち全国のそば屋から
スーパーカブの注文が殺到しました。
その後、尾形は藤澤氏から宣伝担当として
Honda入社の打診を受けるも、
「それでは自由な意見ができなくなる。
自分はあくまでも外部の人間であるべきだ」
という意思のもと、それを辞退。
そして1961年10月、藤澤氏に会社をつくるよう促され、
尾形もそれに応じるかたちで
東京グラフィックデザイナーズを創立。
「Hondaの外にあって、Hondaのためになる会社」
を目指しての創業でした。
![1960年に登場した初代スーパーカブの広告。](/assets/img/policy_hero_image.jpg)
![1960年に登場した初代スーパーカブの広告。](/assets/img/policy_hero_image_sp.jpg)
あたらしい「価値」をつくる。
東京グラフィックデザイナーズ創立のきっかけにもなった
初代スーパーカブの広告。
この広告が世の中に広まっていくにつれ、
スーパーカブは全国のそば屋に普及。
今では当たり前の風景となった「働くカブ」は、
ここから生まれました。
製品と、それをつかう人の関係をアップデートしていくこと。
すなわち、モノとヒトをつなぎ、生活を変えていく、
あたらしい「価値」をつくりだすこと。
私たちのクリエーティブの原点はここにあります。
![あたらしい「価値」をつくる。](/assets/img/policy_value_image01.png)
つくり上げた仕事で応える。
つくり上げた仕事そのものが営業的な役目を果たし、
次々とあたらしい仕事を生み出していく。
これが本当のクリエーティブだと
東京グラフィックデザイナーズは考えます。
広告制作を中心に、さまざまな分野の仕事を展開。
私たちは、一人ひとりの活き活きとした能力を結集し、
最良のパフォーマンスを発揮するクリエーティブパートナーです。
徹底的に「気配り 目配り 思いやり」。
企業や製品の、世の中とのコミュニケーション。
そのすべては、人にはじまり、人に届くことで完結します。
私たちは、徹底的に相手の立場にたって
考え抜くことを忘れません。
製品やサービスをつくる人、
それをつかう人の気持ちを細やかに想像することから、
すべての仕事を始めます。